この読んで思い出すこと JAL、ウラジオストク就航へ 20年に成田から

はい、「JAL、ウラジオストク就航へ 20年に成田から」というニュースを読んで
思い出すことがあります。
私、現役時代の若いときに、もちろん古いお話ですが1973年6月に就航した新路線
JAL新潟~ハバロフスク間を、ルックの添乗員として乗った時のこと思い出します。
ヤフーニュース⇒https://news.yahoo.co.jp/pickup/6331275

日本航空(JAL/JL、9201)は、成田-ウラジオストク線を2020年の夏ダイヤ期間内
にも開設する方針を固めた。近く発表する予定だそうです。
成田-ウラジオストク線は現在、JALと同じ航空連合「ワンワールド」に加盟する
ロシアのS7航空(SBI/S7)が、週5往復運航しています。
いま、ANAも、ロシア線新規就航について20年春目指しているといいます。就航を
検討しているのは首都圏とモスクワ、極東のウラジオストクを結ぶ2路線です。

はい、私のオモシロ話しです。JALが新潟~ハバロフスクを就航させたのは
1973年6月のことでした。東西冷戦期であった時代です、当時のソビエト社会主義
共和国連邦のハバロフスク空港との間にアエロフロートと日本航空による共同定期便
が就航して、新潟港とともに日本における東側諸国への窓口となったのでした。
新潟空港は、そんな時代から地方にありながら国際空港として存在感を高めたのです。

はい、当時の海外パッケージ商品化は、まだ、始まったばかりでジャルパックが先鞭
をきり、すぐにJTBがルックを売り出して対抗したのです。はい、そして生まれた
新商品の一つがJTBルック「バイカルとシベリアツアー」でした。エスコートを
現場の支店に派遣するよう話が合って、京都時代でしたが誰も尻込みして行きたがり
ません。東京の大学でロシア語を学んだという外人旅行の担当者もです。課長が言い
ました「吉見、お前しかおらんなあ」。はい、それでお決まりです。行きましたお。
はい、イルクーツク、ブラーツク、5月の連休でした。メーデーの祭典も見ました。
バイカル湖は、まだ季節はずれした。タイガのピクニック、凍結したアムール川。
向う岸は、ときの中共です。空港には、北朝鮮の飛行機がいます。インツーリスト
のスルーガイドは案内はしません。ローカルガイドは英語です。お客さんにはロシア
語を勉強している人もいます。自由行動はできません。不自由は多いのですが、ここ
では添乗員はツアーコンダクターどころではなく、なにもないところを面白くして楽
しませるエンターテナーでないと務まりません。その点では、十分にお役にたって、
お客様には、大満足していただいたのです。エピソードは山盛りあります。
またの機会に。

ここまで、読んでいただいて、ありがとうございました。