京都むかしばなし「最後の曳山・鷹山」の復活劇です!

京都むかしばなし「最後の曳山・鷹山」

おまつりジャパンのブログから⇒https://omatsurijapan.com/blog/gionsai-takayama/

今年の今日の夏の行事の最大祇園祭でのホットな話題です。200年ほど前からお休みになっていた「鷹山」が、この夏「後祭」で、山はまだ復活できてないのですが、お囃子をともない謂れある宝物をいれた唐櫃をかついで練り歩き、見物の京都市民から喝さいを浴びました。あと数年で山も完成して、山鉾巡行におお手を振って参加されるのも近いのです。真夏の、嬉しいお話です。

むかしむかしその昔。
それは現代の京都人が「さきの戦争」という応仁の乱(1467~1478年)よりも昔からあったという由緒正しき祇園祭の曳山「鷹山」のお話です。
その鷹山は「くじとらず(争いにならないように巡行の順番が決まっている山)」だったほど大変人気がある大きな曳山でした。
元は小さな山だった「鷹山」。
天明8年(1788年)には舁山(かきやま/かつぐ山)、寛政10(1798)年には大きな曳山(ひきやま)と時代が移るにつれ、だんだんと大きな山になっていきました。
飛ぶ鳥を落とす勢いの鷹山でしたが、鴨川から鞍馬口までと広範囲におよぶ大規模火災「天明の大火」(1788年)に巻き込まれ山を焼失してしまいました。
応仁、天明、宝永と三度目の大火にも負けず、復活をとげてきましたが、文政9年(1826)に嵐で懸装品を損壊したのを最後に「休み山」となったのでした。
元治元年(1864)の蛤御門の変では休み山であるにもかかわらず、またも火災にみまわれ、山本体が全焼。
難を逃れたご神体の頭と手だけがわずかに残りました。
それから190年もの間、鷹山は祇園祭の時期に「会所飾り(かいしょかざり)/居祭(いまつり)」で三体のご神体を飾ってきました。

宵山の期間に「鷹遣(たかつかい/鷹匠)」「樽負(たるおい)」「犬飼(いぬつかい)」の三体のご神体と見送り(鉾の背面を飾る絨毯)を町家(ちょういえ/町所有の家)で見ることができる